リズム
2025年7月13日
自然が創り出すリズムは心地よいものです。
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2025年7月13日
自然が創り出すリズムは心地よいものです。
プルーインパルスの展示飛行1 2025.7.12 撮影:今駒清則
プルーインパルスの展示飛行2 2025.7.12 撮影:今駒清則
2025年7月12日
大阪関西万博2025へブルーインパルスが展示飛行しました。大阪市とその周辺を飛行し、万博会場上空でリングを描いていました。
2025年7月11日
このごろ一日に一回位雨雲が通りすぎます。雨柱の上には雲に遮られて見えませんが大きな積乱雲があるはずです。
2025年7月8日
6月27日に近畿地方が「梅雨明け」となり、それ以来10日ほど快晴が続き、一度も雨が降っていなかったのですが、今日は金剛山方面から久しぶりの雨雲がやって来ました。
2025年7月5日
2025年6月15日に掲載した記事「コリウスの発根 」、水を入れた瓶に挿して発根させる方法で越冬し、すくすく育っているコリウスたちです。
2025年7月4日
小さなナブラが近づいてきたのでよく見ると小魚の群れで、この程度のグループがあちこちに輪を描いて泳ぎ廻っています。
2025年7月2日
水面に小さなナブラが動き回っています。大きな魚に追われている様子は無いので捕食行動でしょうか。
2025年6月28日
25万博会場での花火。内陸高所からでも良く見えます。大曲の花火師によるもので流石でした。
開催時間は非公開ですが、およそ推測できます。
次は7月21日(月)、7月23日〈水〉、8月23日〈土〉、9月27日〈土〉、10月8日(水〉の予定です。
2025年6月27日
コンクリ敷石の隙間にも生き続ける雑草。
2025年6月25日
鮮やかなハナミズキの葉脈。暫くすると見えにくくなります。
2025年6月23日
暑くて晴れた日が続きましたが、今日から雨模様。生駒山も雲の上。
2025年6月19日
晴れた夜、下弦の月。
大山古墳(伝仁徳陵) 堺市庁舎から 2025.6.19 撮影:今駒清則
2025年6月19日
大山古墳(伝仁徳天皇陵)の副葬品が発見されました。明治期に石室が見つかり、その時の状況は紙での記録はありましたが、実物の刀子や甲冑の破片があったことで、今後の古墳の解明に役立つことでしょう。
2025年6月19日
ムラサキカタバミが沢山の花をつけました。
2025年6月15日
コリウスを簡単に確実に増やすには、枝を切り取って水を入れた瓶に挿しておけばすぐに発根するので、それを植えます。この方法で他の植物でもできる場合があります。
冬越しできない植物で、このように発根できるものであれば、冬の間は室内に置き、春に気温が上った時に植えれば毎年楽しめます。
(追記:2025年7月5日の記事「冬越ししたコリウス 」 に、この方法で冬越ししたコリウスの写真があります)
2025年6月15日
日没間際、東の空の長く広がった雲が淡く色付きました。
2025年5月30日
アジサイ、咲き始めました。
2025年5月29日
武骨な工場の片隅に可愛い花。
2025年5月28日
いまあちこちの生垣などで鮮やかな赤い葉が伸びています。
2025年5月25日
時々雨が降る日、山沿いは霧が昇っています。
2025年5月19日
背丈が50cmにもなるカタバミ。可愛い小さな花をつけます。ただし花後はすぐに果実を結び、熟すと無数の種をバラ撒きます。なので毎日果実を摘まないと大変なことになります。
2025年5月11日
ネコの前をゆうゆうと通りすぎるアオサギ。ネコは顔を向けたものの無関心。どうも顔見知りのよう。京都御苑にて。
2025年5月10日
梅雨を待つアジサイ。
2025年5月7日
そこら辺に生えているムラサキカタバミ1株を鉢に植えたら、こうなりました。
フヨウカタバミのかたちと葉脈 2025.5.1 撮影:今駒清則
2025年5月1日
カタバミの葉は三つ葉と言うだけでなく、それぞれにいろいろな特徴があります。
2025年4月29日
雨の後、雲底が乱れた雲が現われました。乳房雲と言って良いかもしれません。
2025年4月29日
斑のハト。背は真っ白です。
2025年4月29日
ショウブの花が咲き始めました。これから次々と咲いていくのが楽しみです。
2025年4月27日
路傍にきれいな花。どこかの庭から飛び出したものでしょう。
2025年4月26日
近くの公園の藤棚が見頃でした。
ねむりねこ 2025.4.6 撮影:今駒清則 by Velvet28
2025年4月26日
ノラの白ネコに出会いました。運が良くなるとか。
2025年4月25日
完全に花が開く前も美しいのです。
2025年4月25日
'25万博のミャクミャクみたいな花。
2025年4月20日
伝統的な建物ですがモダンです。
2025年4月20日
春は可愛い花、秋は紅葉。
2025年4月20日
山吹色は金貨の色のようなので縁起が良い花とか。
シャクナゲとヤマブキ 金剛能楽堂庭 2025.4.13 撮影:今駒清則
2025年4月13日
以前は金剛定期能の公演が下旬でしたが、最近は上旬に変わったので、金剛能楽堂のお庭で今までと違った花が見られるようになりました。
カタバミ 2025.4.11 撮影:今駒清則 by Velvet28
2025年4月11日
我が家に白花、黄花2種、赤紫花2種のカタバミが咲いています。
2025年4月8日
遠くにきれいな花の木が見えたので近寄ると、おみくじの花でした。
2025年4月8日
舞台撮影の後、平安神宮に立寄り。疎水べりも岡崎公園もサクラ満開。
本社拝殿は工事中。左近の桜は満開少し過ぎ、夕方だったので神苑は巡らず。平日なのに花見の人が多い。
2025年4月5日
川辺てサクラを撮影していると舞い降りた鳥。今までこの辺りでは見たことがない青い鳥です。すぐに望遠レンズに取り換えて一枚撮影したところで飛び立ってしまいました。なのでこれ一枚だけ。調べたらイソヒヨドリのよう。ジロッと見て、これは危ない、と判断されたのか。
2025年4月5日
一家揃ってのお花見のよう。いいですね。
2025年4月4日
花冷えの日、ある団地を訪れました。ここのサクラはまだ三分咲き。「私の標本木」はもう葉ザクラなので、同じソメイヨシノでも差があるものですね。
綺麗なので通りすぎることができない花です。
あたりまえの花の写真ばかりですがご容赦ください。
2025年4月3日
ちょっと山笑うような気配。長い長い雲がかかっていました。
サクラ満開 2025.4.1 撮影:今駒清則 by Velvet28
2025年4月1日
家向いのサクラは満開。ソフトフォーカス・レンズで撮影。
サクラ満開(上の写真の部分) 2025.4.1 撮影:今駒清則
レンズはLENSBABYのVelvet。被写体の芯を持ちながら強烈なボケ(フレアー)が発生するとても優れたレンズです。
このHPの小さな写真では判りにくいので部分も掲載。
2025年3月30日
京都御苑・近衛邸跡に咲く糸桜。満開でした。桜の保護のために柵が設けられたので、人影の無い写真は撮りやすくなりましたが、アングルは制限されます。
2025年3月25日
ユキヤナギは満開、小さな花なのでこの写真だけで幾つの花があるのでしょうか。
2025年3月25日
Tシャツで良いような暖かい一日で、「私の標本木」のサクラは今日開花しました。例年より少し遅いように思います。
大阪城の標本木はまだつぼみだそうで、3月27日が開花予想日。満開は4月4日頃だとか。
景色がぼんやりとしてましたが、大陸からの黄砂のせいでした。
春の中国の景色は黄砂のせいでカラー写真が黄色フィルターをかけたような色になります。
2025年3月23日
我が家のオオキバナカタバミの花柄はなんと60cmほどもあります。午前中しか日照を得られないので徒長しているのではないかと思いますが、枝垂れていて置き場所に困っています。
付近で見かけるオオキバナカタバミの花柄は20cmほどが多いようです。
2025年3月18日
徳川によってすっぽりと埋め立てられてしまった豊臣期大坂城。1984年に発掘し発見された豊臣期大坂城の「詰ノ丸」石垣を見せるため、この度「豊臣石垣館」として2025年4月1日(火)にオープンされます。場所は本丸天守閣の東南にある「金蔵」の隣りです。
館内にあるのは、豊臣秀吉らが居住していたとされる「詰ノ丸」の石垣だけです。また別室で映像「日本一の石垣の城 大坂城~激動の軌跡~」も上映されています。
豊臣期大坂城の本丸にあたる「詰ノ丸」の東南角の石垣は野面積みで、角石は算木積み、石は自然石に一部転用石が使われています。
上部から見ると、石垣の裏側に詰めた「裏込め石」の状態がよくわかります。
なお館内解説にシンクロして、石垣への照明の色や明るさが目まぐるしく変化するため、石垣をじっくり鑑賞したいのにそれが邪魔になって不快な気持ちになりました。
1984年に発掘された豊臣期大坂城 詰ノ丸 東南隅石垣
1984年 撮影:今駒清則
1984年に大阪城本丸の水道管工事の時に石垣が発見され、発掘調査が行われて豊臣期の石垣が姿を表しました。写真はその時のもので、「詰ノ丸」より一段下の「中ノ段曲輪」から石垣角を見上げています。この石垣の上には隈櫓があったのではとの見解があります。
発掘後は埋め戻されていたのですが、今回再発掘し「豊臣石垣館」としてこの石垣が公開されることになりました。
大阪城では数多くのボーリング調査などが行われていて、1959年の調査では戦火に遭った豊臣石垣が発見されており、また2016年にも「詰ノ丸」の発掘調査が行われています。(このHPの「豊臣大坂城の痕跡 」の項を参照下さい)
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