大和街道(古堤街道) 3 京橋駅付近 蒲生墓地
京阪京橋駅(12)南の京街道の分岐点からJR大阪環状線・京橋駅(10)を越えて大和街道(古堤街道)(6)を東へ向かうと北側に蒲生(がもう)墓地(7)があります。江戸時代に観音さま巡りと同様に、大坂三郷の周りに造られた七つの墓地を7月16日前後に巡って供養する七墓参りという風習があり、その大坂七墓の一つの墓地です。大坂七墓とは梅田墓地、南浜墓地、葭原(吉原)墓地、蒲生墓地、小橋(おばせ)墓地、千日墓地、鳶田(飛田)墓地で、現存するのはこの蒲生墓地と南浜墓地だけで、他はすべて移転しているので歴史的に貴重な存在です。
蒲生墓地は鯰江川(2)北岸の土手(堤)の上を通る大和街道(6)の北側にあります。墓地のさらに北側は明治時代頃まで水路があり、田畑が広がっていました(この項のその1にある1887(明治20)年旧版地図を参照)。その水路は現在生活道路になっています(地図に水色点線で表示)。大和街道のこの先は蒲生、今福と続き生駒山へ向かっています。
墓地へは土手を通る街道から下へ降りて入ります。墓地の様子は古地図と余り変わりがありません。墓地の南側を見ると大和街道が鯰江川の土手を通っているのが良く分ります。
墓地の入口付近にある六地蔵さまです。1813(文化13)年とあり、子どものような可愛らしいお姿です。
墓地の東側、一番奥のお堂に安置されている阿弥陀如来さま。極楽からのお迎え佛です。灯明の油煙で煤けていて信仰が篤かったことがわかります。お顔や全体の造りから先の六地蔵さまと同時に造られたのではないかと思われます。
ここの墓石の一つに判じ物を刻んだお墓がありました。「人ニハ|一」と刻んでいます。大阪ではたまに見られるものですが、「人には辛抱が第一」すなわち「金」になる、というもので大阪らしい人生訓です。お墓参りに来た子孫はその度にご先祖さまの教訓を承ることになる訳で、案外良い方法かも知れません。
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