堤防道路には 桑名市


名古屋で短時間の用事なので近鉄名古屋線の特急(アーバンライナー)で往復。以前より乗り心地と座席が格段に良くなっています。あいにくの雨模様で風景はあまり良くありません。車窓に見える大和高原の桜を楽しみにしていましたがまだ少し早いようです。
帰りに少し薄暗くなった車窓からは、桑名市で長良川と揖斐川が並んで流れ、その中堤を通る堤防道路の県道106号線が良く見えました。前から一度は行ってみたいと思っている道路です。写真は近鉄特急から河口に向けて撮影、左が長良川、右が揖斐川、遠くの長大な鉄橋は国道1号線の伊勢大橋。衛星写真地図で見て頂くと分りますが、この県道106号線はこの先の伊勢大橋の中間でT字に交差します。橋の中間に交差点と信号があるのも珍しいと思います。

写真は旅客機からの撮影で、河口付近から上流を望んだ木曾三川。霞んでいて写真が良くないのですがご容赦下さい。写真左から海津市、桑名市、揖斐川、長良川、木曽川、愛西市。中央が千本松原から続く県道106号線の堤防道路、下方の橋は上が東名阪自動車道、下がJR、近鉄の鉄道橋です。(衛星写真地図)(木曾三川の概況は国営木曾三川公園ホームページ)
この写真には歴史上名高い宝暦治水の悲劇が込められています。9代家重の1754(宝暦4)年、幕府は薩摩藩のみに短期間でこの地の治水工事を命じました。沢山の河川が気ままに流れ寄って広大な氾濫原となり農民を苦しませているので治水せよ、というものです。とんでもない大工事を引き受けざるを得なかった薩摩藩は多大な負債を重ね、それでも難工事をやり遂げましたが、幕府の明らかな嫌がらせや、薩摩藩の疲弊を狙った政略に抗議して工事中に多数の家臣が憤死し、翌年の完成時には総責任者であった家老の平田靱負も切腹しました。このため海津市の千本松原には宝暦治水碑、薩摩藩士の慰霊顕彰には治水神社が油島に造られ、薩摩藩士のお墓は桑名市の法性山海蔵寺などにあります。(海蔵寺ホームページには宝暦治水の概略と由縁が掲載されています。)
ただこの治水工事も完全ではなかったため、1887(明治20)年からオランダ人ヨハニス・デ・レーケの計画設計により明治の三川分流工事が25年間にわたって行われ、現在のように整備されました。川の真ん中を通る堤防道路にも深い歴史があります。
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