慈雲尊者の生誕地 高松藩大坂蔵屋敷跡
南河内の隠れ寺・高貴寺に起居した慈雲尊者は1718(享保3)年に大坂・中之島の讃岐高松藩の大坂蔵屋敷で生まれました。中之島は水運が良くそれだけに各藩の蔵が立ち並んでいました。そのためかこの辺りは数十年前までも倉庫が多かったのですが、今はビジネス街となり蔵屋敷の面影はまったくありません。京阪中之島線の中之島駅を出るとリーガロイヤルホテルがあり、その東の高松藩大坂蔵屋敷跡には慈雲尊者の没後200年を記念した「慈雲尊者生誕の碑」が2004年に建てられています。(衛星写真地図)
着色した川は北(上)から曽根崎川(蜆川)、堂島川、土佐堀川
慈雲尊者が生まれる少し前、元禄年間(1688~1703)の中之島絵圖を掲載します。絵圖は分りやすくするために川と高松藩「松平讃岐守」を着色しました。慈雲尊者が生まれた高松藩大坂蔵屋敷は堂島川に架かる玉江橋の南詰西、常安裏町にありました。その東隣りは久留米藩、さらに東は広島藩の大坂蔵屋敷です。西隣りは姫路藩、また徳島藩でした。高松藩大坂蔵屋敷は南の土佐堀川まであったようで、土佐堀川に架かる田邊屋橋(後に常安橋)と越中橋が南への橋でした。
屋敷には金毘羅社を祀り、毎月の9日、10日の縁日には横を通る常安町筋に夜店が出るほどで、殊に10月10日の例祭には芝居、ニワカなどの芸能や造り物などもあって町人も多く参詣したとのことです。各藩の大坂蔵屋敷にはいずれも鎮守社があり、長堀川の土佐藩大坂蔵屋敷にあった稲荷社は今も土佐稲荷神社(衛星写真地図)として伝わっています。金毘羅祭のその賑わいは讃岐の金毘羅さまのご利益があらたかだったからなのでしょう。慈雲尊者も13歳で法楽寺へ出家するまでは蔵屋敷の内からこの祭を楽しみにしていたことでしょう。
(別項の大阪/歴史「中之島 大坂蔵屋敷」 「高貴寺 慈雲の寺 河南町」もご覧下さい)
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