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2011年9月28日 (水)

繰返された学童の悲劇 (5) 水難の地

 

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波切不動尊と水難供養碑 堺市神南辺町4 2011.8.20 撮影:今駒清則
 
 

  堺の浜の新田開発で生まれた三宝地区山本町付近の一角(衛星写真地図)に波切不動明王をお祀りしたお堂(石龕)があります。この不動尊は「唐からから帰る弘法大師を守ったと伝えられて、海難除け、航海安全、「波切」と「難切り」を掛けて地域の篤い信仰を集めています。」(現地説明看板による)

 そのお堂の脇に1791(寛政3)年8月20日に起きた海嘯(かいしょう 津波)によってこの地域で犠牲になった人々を供養した石碑が建てられています。

 
 

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寛政三年海嘯水難供養碑 堺市神南辺町4 2011.8.20 撮影:今駒清則
 
 

  新田開発の後、この地は何回かの津波や高潮に襲われていますが、その一つの「寛政3年の海嘯」による犠牲者を1840(天保11)年に「南嶋の光得法師が願主となり、来迎寺の蘭○(山カンムリに品)上人が導師を勤めた」(現地説明看板)50回忌の法要が石碑に記されています。
 「寛政3年の海嘯」とは「中濱筋一帯に及び、材木破船町中に吹上げられ、湊村方面では田畑多く汐入して溺死者を出し、當時恰も着手せられつつあった吉川俵右衛門の石堤工事をも破壊した。この變事は、記録上には全国中僅かに京都に於て微震を感じた丈けしか見えて居らぬから、(輝良公記)堺近海中に振動した部分的なものであっただろう。」(堺市史第3巻)という記録が少ない地震による津波と思われますが、後世のことながらその地に石標として存在するのは貴重な災害史跡であろうと思われます。全国各地には歴史的災害を記録した石碑があり、多大な犠牲者に代わって後世の人々へ警鐘を鳴らしているのですからこのことに関心を持って大切にしたいものです。(続く)

 

 シリーズ
繰返された学童の悲劇 (1) 石巻市立大川小学校
繰返された学童の悲劇 (2) 堺市立三宝小学校
繰返された学童の悲劇 (3) 慰霊の碑
繰返された学童の悲劇 (4) 低地の学校
繰返された学童の悲劇 (5) 水難の地
繰返された学童の悲劇 (6) 教育塔

繰返された学童の悲劇 (7) 擁護璽

 

 

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