ちょっと変な天気
10月25日夜に近畿地方に「木枯らし1号」が吹き、気温が下ったと思ったら28日に気象庁から「高温に関する異常天候早期警戒情報」が出ました。これから霧の多い季節になるのですが、晩秋に「高温」になるとどうなるのでしょうか。
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10月25日夜に近畿地方に「木枯らし1号」が吹き、気温が下ったと思ったら28日に気象庁から「高温に関する異常天候早期警戒情報」が出ました。これから霧の多い季節になるのですが、晩秋に「高温」になるとどうなるのでしょうか。
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宝塚大学で日本写真芸術学会・関西シンポジウムが開催されました。テーマは「デジタル写真時代のファインプリント」。デジタル写真の立場から、銀塩写真の立場から、印刷の立場からのファインプリントの現状について報告があり、問題点や悩まれる現状について参加者からも熱心な質問もありました。
会場の宝塚大学のキャンパスからは大阪空港と大阪市街のスカイラインが一望できます。空港滑走路の発着が遠目ですが良く見える楽しい所でもあります。
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先日京都・金剛能楽堂へ撮影に行く前に、向いにある京都御苑を散策。まだ青い葉のカエデに種がいっぱいついているのを見かけました。翼の色がさめてきたのでもうしばらくすると落ちることでしょう。
カエデの種は独特です。翼を持っていて、枝から離れるとクルクルと回転して少し離れた所へ落ち、風でもあれば遠いところまで飛んで行きます。これは翼がもう離れているので二つの翼が合わさっていたことがよくわかります。翼は3cm程の大きさなので写真は実物の3倍程になっています。
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プリウス20 の満タンで 1,018Km を走行。エアコンを使わない季節なので燃費が伸びました。使用したガソリンは 44.3L、1L あたり 23Km の走行です。道路状況は 60Km/h 制限の幹線と 40Km/h 制限の生活道路が半々といったところです。なおガソリンが 133円/1L でしたので 5.8円/1Km の燃費になります。これから寒くなると暖房のためよりエンジンを使うので燃費は悪くなりますが、20Km/1L を下回ることはあまりありません。
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22日夕は雨雲が来てオリオン座流星群の観測を諦めていたのですが、真夜中に少し雲が切れて東の空に木星がチラッと見え、しかも木星にかかるように一つの流星が見えました。そこでカメラを構えたのですがすぐにまた厚い雲がやってきて星が見えたり見えなかったり、そのうちに西の方で雷光、真っ黒な雲が雷さんを運んできたようです。西にもう一台カメラを据えて雷光撮影、星の撮影と稲妻の撮影を同時にしたのは初めてです。しばらくすると轟音をたてて猛烈な降雨。これで撮影はあきらめました。
昨夜23日の大阪上空は稀に見るクリアな空。オリオン座のオリオン星雲の明るさも肉眼で確認でき、木星の衛星も標準レンズで写るほど。これに流星があれば素晴らしい写真になると東の空へカメラ一台、もう一台を南の空に向けて撮影開始。都合6,000コマを撮影、今日丸一日かかって写真を確認しましたが、なんと流星はゼロ。肉眼でも確認できませんでした。極大を過ぎたら急速に見えなくなるようです。そこでオリオン座に通りかかった旅客機の航跡の写真でも。クリアな空のおかげで多数の星々にオリオン星雲、さらに旅客機の飛行機雲まで写っています。
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今日はオリオン座流星群が極大となる日なのですが、あいにく近隣県に警報が出るほどの雨の日。夕方も厚い雲が南からやって来ます。まだここ数日は流星観測は可能なので明日に期待しましょう。
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大阪・南河内の丘陵はかなり早い時期から住宅開発が進んでいましたが、今も止むところを知りません。里山の豊かな樹木の上に給水塔なのかポツンとタンクが見えています。しかしその向こうには羽曳が丘(衛星写真地図)の広大な新興住宅地が広がっているのです。
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里山の裾を整地した後、放置されていた空き地に雑草が繁茂し、季節柄セイタカアワダチソウやススキが目立ちます。一時は帰化植物のセイタカアワダチソウが物凄い勢いで勢力を伸ばしていたのですが、この頃はさほどでもなく、競争相手のススキも生えるようになりました。向こうに見える一群ススキは穂がまだ十分に開いていないようです。
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この頃は月が北東の方から昇るのですが、連日の雨、曇りで月の出が見えなかったのですが、やっと今夜は生駒山から昇るのが見えました。山の稜線に建てられた鉄塔がシルエットになっています。
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短期間の開館ですので、お見逃しないようご案内いたします。
「松野藝文館」については次の記事もご覧下さい。
「松野藝文館(1) 」
「松野藝文館(2) 」
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遠くにアドバルーンが上っていました。今日は能の舞台撮影に出かけます。
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飛騨高山の取材で撮影した写真データの整理で一日が過ぎてしまいました。撮影した写真のブレたり、ボケたりした写真を削除しても総数は約3,300枚。フィルムだと約90本になります。
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飛騨高山からの帰り、高速道路のサービスエリアの植栽にあった虫食いの葉。これ程のものは初見です。
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今年も秋の高山祭へ。友人宅に厚かましくも居候で祭を取材。幸い両日とも好天に恵まれました。
櫻山八幡宮の例大祭が秋の高山祭、八幡さまの前の記念道路にいつものように並んだ屋台の華麗な飾り物が陽光に煌めいていました。今年は記念道路の電柱がすべて撤去されたため背景がすっきりして素晴らしく見栄えが良くなりましたが、見物の人が特別に多くて身動きもできない程。春の山王祭の人出が少なかった反動と三連休のためでしょう。
夕方近くになると屋台に提灯をつけて宵祭の準備をします。暗くなっても明りを消している古い町の通りを屋台がゆっくりと通ると、提灯がゆらゆらと揺れ飾りがキラキラと輝いて風情が高まります。
古い町並みを巡行した屋台は安川通りへ並び、辻で獅子舞が奉納されます。通りの両側は提灯に照らされた屋台に酔いしれる人たちでいっぱいです。
飛騨地方の獅子舞は胴幕が独特です。それをデザインした絵馬が櫻山八幡宮に掲げられていました。今年5月に挙行された「飛騨の大まつり」(櫻山八幡宮式年大祭)に獅子連中から奉納されたものです。
二日間にわたって巡るご神幸に伴って、獅子は町内各戸へ獅子舞をくまなくあげて巡ります。家人は戸口に出てご神幸の八幡神や獅子を出迎えます。
夕刻にご神幸の列が八幡宮へ帰ると、境内で最後の闘鶏楽(カンカコ)と獅子舞を総出で奉納します。獅子は両日朝から町内を巡って舞い続けているのに、さらにこの時、境内でも延々と舞い続けるのです。よくそれだけの体力が続くものといつも感心しますが、それだけに舞の終りには熱烈な拍手が待っています。舞い終わって満足げな獅子連中の皆さんと、感動を貰った参拝客の喜びが爆発します。高山祭に行かれたらどうぞここまでご覧ください。
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東京文化財研究所が「東大寺二月堂お水取り」を長年調査し記録されていますが、その業績についての公開学術講座の案内を頂きましたのでお知らせします。
二月堂修二会の行事内容については、「今駒清則 東大寺二月堂修二会(お水取り)」をご覧下さい。
上記講師と共著した「今駒清則写真集 南無巻〜東大寺お水取りの光陰」のPRページもご覧下さい。
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1934(昭和9)年9月21日、観測史上最大といえる室戸台風(関西大風水害)の猛威は京阪神を中心に甚大な被害を被りました。なかでも学校の木造校舎のほとんどが倒壊し、学童や教師が多数犠牲となったことは教育界に大きな衝撃を与え、風水害への対策を講じるとともに慰霊の塔を建て、そこに全国殉難教育者をも合祀して慰霊祭を行いました。これが大阪城の大手前広場(衛星写真地図)にある教育塔です。第1回の「教育祭」は帝國教育會が主催して室戸台風から2年後の1936(昭和11)年10月30日に挙行されました。合祀者数は室戸台風殉難者を含めて教職員137名、児童生徒1,435名でした。
この教育塔の正面左右には陶板によるレリーフが掲げられています。右は当時の教育事情を反映した教育勅語奉読の場面、左は大災害時に避難誘導する教師と難渋する学童の姿が描かれています。
このレリーフについて、「浮彫意匠募集」で選ばれた作者の長谷川義起が「教育塔誌」(1937年10月20日帝國教育會発行)で制作意図をこう述べています。
(前略)「熟考の末静と動を表はして見ることにした。静を常時として、動を非常時の気分でゆかうと考へた。愈ゝ静動二相の中に教育者の抱懐する教育盡忠、教育報国の大精神を藝術的に顕現して見よう、而して殉職者の崇高なる英霊を慰めようと思った。」
(中略)「『動』は非常時に於ける教育者が教へ子を背負ひあるひはその手をひいて、恰も守護神の如く暴風雨をものともせず、兒童を誘導しつゝ避難する有様を表はすことに務めた。」(中略)「近景の男女の教師を取り圍み恟々として驅け進むのは低學年の兒童であり、遠景は教師の指導下に勇敢に安全地帶をめざして避難する一群、それは高學年の兒童であり、是等のバランスの必要上躓き倒れたものも表はしたのである、また大雨の感じを盛るため構成的に取扱ひ、冩生風を離脱することに務めた、ここで特に注意した事は、惨鼻目を蔽はしむるやうな卑俗低調に陥らぬやう、藝術的な『リズム』を生かすことに務めた。」
このレリーフの主題には堺市立三宝小学校の悲劇が下敷きとなっていたものと思われます。また男女二人の教師は三宝小学校で殉職した栗山優訓導、錦小学校で殉職した高塚武訓導をイメージされていたのかも知れません。(続く)
シリーズ
繰返された学童の悲劇 (1) 石巻市立大川小学校
繰返された学童の悲劇 (2) 堺市立三宝小学校
繰返された学童の悲劇 (3) 慰霊の碑
繰返された学童の悲劇 (4) 低地の学校
繰返された学童の悲劇 (5) 水難の地
繰返された学童の悲劇 (6) 教育塔
繰返された学童の悲劇 (7) 擁護璽
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