ヒロシマ 1958-2015 原爆の子の像
Posted to the "Masterpiece photo of high school students" the Mainichi Newspaper, March 3, 1959 issue.
Children's Peace Monument, Hiroshima Peace Memorial Park. Photo : KOMMA Kiyonori
2015年8月6日
2歳で被爆し千羽鶴を折れば命が助かる、と信じて鶴を折り続けましたが、12歳で短い生涯を閉じた佐々木禎子さんの実話は多くの感動を呼び、このことから募金活動により1958(昭和33)年に原爆で亡くなった子どもたちへの慰霊碑として「原爆の子の像」が建立されました。その後も絵本やドラマなどで感動が広がり、能楽でも堂本正樹作・新作能「サダコ」が 2002年10月11日に広島アステールプラザで演じられたので舞台撮影をしています。
この平和記念公園に空高く折り鶴を掲げた少女の像は、奇しくも私が写真を目指すきっかけの一つにもなっています。高校の修学旅行で平和公園を訪れたとき、6x6カメラでこの像を写しました。それが新聞社の高校生写真コンクールで選ばれ、大きく紙面に掲載されました。コメントを求められて「平和」を願う気持ちを話しました。もう56年前の話です。(以上は2007年8月6日にここへ掲載した記事を一部改定して再掲しました)
改めてその時と同じポジションから撮影してみました。逆光の状況だったので結果は高校生の時の写真の方が良かったですね。反省。
Face part of the Children's Peace Monument, Hiroshima Peace Memorial Park. Photo : KOMMA Kiyonori
今回撮影してみて新しい発見がありました。「原爆の子の像」は単に少女のイメージと折り鶴をモチーフにしたものだと思っていましたが、少女像の顔をアップしてしてみると、佐々木禎子さんの顔を忠実に写していたことがわかったのです。
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