江戸・四谷 町家の発掘
Yotsuya 1chome archaeological. Photo : KOMMA Kiyonori
2015年12月10日
四谷見附のすぐ西で発掘調査をしていました。すでに5月に遺跡見学会は行われており、この後は独立行政法人都市再生機構(UR)の四谷駅前地区再開発(URの事業計画 pdf)による新しい町並みがこの上にできるようです。
"Yotsuya" 19th century picture map.
幕末の繪図「増補改正千駄ケ谷鮫ヶ橋四ツ谷繪図」1857(安政4)年の四谷見附を見ると、「四ツ谷御門」の前は町家が並び、その周囲に武家屋敷と寺院が建並んでいます。
「四ツ谷御門」は現在のJR四ツ谷駅。「四谷傳馬丁(町)一丁目」の広い通りは今の新宿通り、「新道ト云」とある通りはしんみち通り、その北の「竹丁ト云」は三栄通り、その通りに面した「麹町十一丁目」と「四谷塩丁一丁目」が今回の四谷駅前地区再開発の対象地区。現在の四谷一丁目と本塩町です。この辺りはグレー地に表示された町家が並び、現在発掘されているのは「四谷塩丁一丁目」です。その発掘調査の様子は、新宿区の「四谷一丁目遺跡見学会」告知ページによれば以下の概略です。
「四谷一丁目遺跡は、江戸時代初期の寛永15年(1638年)に町が設けられたとされ、四谷塩町一丁目と呼ばれる町屋があった場所で、四谷駅前地区再開発事業に伴い26年11月から発掘調査が行われている。調査では、町屋の建物跡、土蔵跡、井戸、地下室(ちかむろ)、大型のかまどなど約500基、陶磁器類を中心とした生活用品が多数出土している。
町屋跡の下からは、深さ3~4mの竪坑に横穴が放射状に連なる麹室(こうじむろ・酒や味噌などを製造するための麹の培養に使用する施設)も多数見つかり、江戸時代初期の四谷の様子を物語る貴重な資料となっている。」
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