京街道 5 京橋駅付近
京街道 京橋駅南の二人地蔵尊 2010.3.18 撮影:今駒清則
京街道の京橋駅付近の追加です。
京街道が京橋駅に近づくと京阪電車高架下の道と出合います。写真右の京阪電車沿いの道は新しい道ですが、写真左の道が京街道です。その追分に二人地蔵尊が祀られていました。
京街道 京橋駅南の二人地蔵尊 2010.3.18 撮影:今駒清則
口紅をさし仲良く並んだお地蔵さまです。お堂には由緒書きがありましたので長文ですが転記します。
二人地蔵尊の由来
右側小柄の方は交通災害の身代り地藏さんで、左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんであります。
身代り地藏さんは昭和二十年八月大東亜戦争の終末を告げる頃、当地京橋付近の大空襲の際に、どこからともなく現われた不思議な方で、たまたま本年春頃、この路上に於て自動車の激突事故が発生し、双方の車は接触したまま鯰江川に向かって二転三転したにもかかわらず、運転手にはかすり傷一つなく、エンジンがかかっているのに火災も起らず、気のついた時はこの地藏さんの首だけが飛散していたのであります。
目に見えないこのお加護と人徳に対して、住民は勿論、特に運転をされる者からは生き仏様として尊敬されるに至ったのであります。
護り地藏さんは幾度ともなく傷つかれたこの身代り地藏さんをたすけて、鯰江川の埋めたて、新京橋駅と商店街建設工事などに絶対無事故であることを祈願し、併せて野田町から片町へと町名の変更、世紀の万国博覧会の開催、明治百年祭にあたるなど、もろもろを記念して奉祀されたのであります。
爾来住民は、この両地藏さんは願いごとを必ず果たして下さるものと信仰し、地蔵菩薩十福の恩恵に浴すためにも七月二十四日の祭典日にこだわらず、老若男女事あるごとに感謝祭をおこなうことになったのであります。合掌
昭和四十四年四月/主催 野田町 千寿会/後援 町内有志一同
地元で崇敬されているお地蔵さまのようですが、この地域の現代史が分る内容でもあります。
<転載中ですので前編は こちら をご覧下さい。>
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