屋敷神
2025年9月21日
金剛能楽堂のお庭の片隅にお社が祀られていました。
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2025年9月21日
金剛能楽堂のお庭の片隅にお社が祀られていました。

大山古墳(伝仁徳陵) 堺市庁舎から 2025.6.19 撮影:今駒清則
2025年6月19日
大山古墳(伝仁徳天皇陵)の副葬品が発見されました。明治期に石室が見つかり、その時の状況は紙での記録はありましたが、実物の刀子や甲冑の破片があったことで、今後の古墳の解明に役立つことでしょう。
2025年4月20日
伝統的な建物ですがモダンです。
2025年3月18日
徳川によってすっぽりと埋め立てられてしまった豊臣期大坂城。1984年に発掘し発見された豊臣期大坂城の「詰ノ丸」石垣を見せるため、この度「豊臣石垣館」として2025年4月1日(火)にオープンされます。場所は本丸天守閣の東南にある「金蔵」の隣りです。
館内にあるのは、豊臣秀吉らが居住していたとされる「詰ノ丸」の石垣だけです。また別室で映像「日本一の石垣の城 大坂城~激動の軌跡~」も上映されています。
豊臣期大坂城の本丸にあたる「詰ノ丸」の東南角の石垣は野面積みで、角石は算木積み、石は自然石に一部転用石が使われています。
上部から見ると、石垣の裏側に詰めた「裏込め石」の状態がよくわかります。
なお館内解説にシンクロして、石垣への照明の色や明るさが目まぐるしく変化するため、石垣をじっくり鑑賞したいのにそれが邪魔になって不快な気持ちになりました。

1984年に発掘された豊臣期大坂城 詰ノ丸 東南隅石垣
1984年 撮影:今駒清則
1984年に大阪城本丸の水道管工事の時に石垣が発見され、発掘調査が行われて豊臣期の石垣が姿を表しました。写真はその時のもので、「詰ノ丸」より一段下の「中ノ段曲輪」から石垣角を見上げています。この石垣の上には隈櫓があったのではとの見解があります。
発掘後は埋め戻されていたのですが、今回再発掘し「豊臣石垣館」としてこの石垣が公開されることになりました。
大阪城では数多くのボーリング調査などが行われていて、1959年の調査では戦火に遭った豊臣石垣が発見されており、また2016年にも「詰ノ丸」の発掘調査が行われています。(このHPの「豊臣大坂城の痕跡 」の項を参照下さい)
2025年1月16日
趣のある家がどんどん少なくなってきました。

油煙墨所 宮武春松園の看板 2025.1.16
撮影:今駒清則
2025年1月16日
奈良で製墨をしていた宮武春松園の看板を見かけました。
看板には「文明/(屋号)/宮武春松園/御油煙墨所/金子屋佐十郎」とあります。
宮武春松園は1717(享保2)年創業とされ、1920(大正9)年に複数の製墨会社と合併して大日本製墨株式会社となり、現在は日本製墨書遊になっています。
宮武春松園についてはwebに「春松園古墨博物館」があります。
2024年8月6日
原爆で辛くも残った陸軍被服支廠。取壊しが検討されたが今年に重要文化財に指定され、耐震改修などが行われる。
2024年8月6日
1945年8月6日8時15分、この島外科の上空600メートルで原子爆弾が炸裂した。

「焼け佛」 今駒清則
2024年5月17日
いよいよ興福寺の五重塔に足場とクレーンが登場しました。7年後に保存修理が完成する予定です。
興福寺五重塔修理工事について(興福寺)
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